日本MMAの歴史|修斗・パンクラスからPRIDE、RIZIN、UFC挑戦まで
最終更新日 · Fight Atlas編集部 · 読了 8分
日本MMAの歴史をざっくり年表で
日本は、世界でも早くから総合格闘技(MMA)が根付いた国です。アメリカでUFCが始まる前から独自の総合格闘技が生まれ、2000年代には世界最高峰と言われた団体PRIDEを生みました。まずは大きな流れを年表で見てみましょう。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1984年 | 佐山聡がタイガージムを開設。のちの「修斗」の始まり |
| 1989年 | 修斗が初のプロ興行を開催 |
| 1993年 | 船木誠勝・鈴木みのるがパンクラスを旗揚げ。同じ年、アメリカでUFCが誕生 |
| 1997年 | PRIDE.1開催(東京ドーム、高田延彦vsヒクソン・グレイシー) |
| 2000年 | 桜庭和志がホイス・グレイシーとの90分の死闘に勝利 |
| 2001年 | DEEPが旗揚げ |
| 2003年 | 大晦日に3つの格闘技大会が民放3局で同時中継される |
| 2006年 | フジテレビがPRIDEとの契約を解除 |
| 2007年 | PRIDEがUFC運営会社のオーナーに買収され、その後消滅 |
| 2008年 | DREAMが旗揚げ |
| 2012年 | DREAMが最後の大会を開催し、活動停止 |
| 2015年 | RIZINが旗揚げ |
| 2022年〜 | Road to UFCから日本人選手が次々とUFCへ |
| 2024年 | 朝倉海がUFCデビュー戦でいきなり王座に挑戦 |
ここからは、時代ごとに詳しく見ていきます。
始まり:修斗とパンクラス(1980年代〜90年代前半)
修斗:日本で最初の総合格闘技
日本の総合格闘技の源流と言われるのが修斗です。初代タイガーマスクとして人気を集めたプロレスラーの佐山聡が、1984年にタイガージムを開設したのが始まりでした。当初は「シューティング」と呼ばれ、のちに「斗いを修める」という意味で「修斗」と名付けられます。
打撃・投げ技・関節技を途切れなくつなげる「打・投・極」を理念に掲げ、1989年に初のプロ興行を開催。佐山が作り上げた体系的な指導法は、現在の総合格闘技の土台の一つになりました。
パンクラス:プロレスから生まれた「真剣勝負」
1993年9月、プロレスラーの船木誠勝と鈴木みのるがパンクラスを旗揚げします。名前の由来は古代ギリシャの格闘技「パンクラチオン」。プロレスの世界から、勝敗の決まっていない真剣勝負(シュート)だけで興行を行う「完全実力主義」を打ち出しました。
試合が一瞬で決まることも多く、「秒殺」という言葉がファンの間に広まったのもパンクラスからです。同じ1993年11月には、アメリカで第1回UFCが開かれています。日本とアメリカで、ほぼ同時に総合格闘技の時代が始まったと言えます。
黄金期:PRIDEと大晦日の格闘技ブーム(1997年〜2006年)
PRIDE.1:高田延彦vsヒクソン・グレイシー
1997年10月11日、東京ドームでPRIDEの第1回大会「PRIDE.1」が開かれました。メインイベントは、プロレス界のスター・高田延彦と、「400戦無敗」とうたわれた柔術家ヒクソン・グレイシーの一戦。結果はヒクソンの勝利でしたが、この大会をきっかけにPRIDEは日本最大の格闘技イベントへと成長していきます。
桜庭和志と「グレイシー狩り」
PRIDEの人気を決定づけたのが、桜庭和志とグレイシー一族の戦いです。当時、UFCで柔術の強さを見せつけたグレイシー一族は「最強」の象徴でした。
桜庭はホイラー、ヘンゾ、ハイアンとグレイシー一族を次々に破り、「グレイシー・ハンター」と呼ばれるようになります。中でも語り継がれるのが、2000年5月1日の「PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦」でのホイス・グレイシー戦です。ホイス陣営の要求で「時間無制限・判定なし」という特別ルールで行われた試合は、15分×6ラウンド、計90分に及び、ホイス陣営がタオルを投げて桜庭が勝利しました。
桜庭は2017年、日本人として初めてUFCの殿堂入りを果たしています。
大晦日の格闘技中継
PRIDEは地上波のフジテレビで中継され、ゴールデンタイムに格闘技が流れる時代が訪れます。そのピークが、2003年の大晦日です。
この日は、フジテレビの「PRIDE男祭り」、TBSの「K-1 Dynamite!!」、日本テレビの「INOKI BOM-BA-YE」と、3つの格闘技大会が民放3局で同時に中継されました。大晦日に格闘技を観るという習慣は、この頃に生まれたものです。
冬の時代:PRIDE消滅とDREAM(2006年〜2014年)
PRIDEの消滅
2006年6月、フジテレビがPRIDEとの契約を解除し、PRIDEは地上波という大きな後ろ盾を失います。2007年3月にはUFCの運営会社のオーナーにPRIDEが買収され、同年4月の「PRIDE.34」が日本での最後の大会になりました。多くの有力選手がUFCへ移り、PRIDEはその年のうちに事実上消滅します。
DREAMの誕生と活動停止
PRIDEの元スタッフと、立ち技格闘技K-1を運営していたFEGが手を組み、2008年にDREAMが旗揚げされます。地上波のTBSで中継され、PRIDEの流れを受け継ぐ団体として期待されました。
しかし、2012年にFEGが経営破綻し、同年大晦日の「DREAM.18」を最後にDREAMは活動を停止します。地上波で総合格闘技を観る機会が大きく減った、いわゆる「冬の時代」です。
この時期の日本のMMAを支えたのが、DEEP・パンクラス・修斗といった国内団体でした。2001年に旗揚げしたDEEPを含め、これらの団体は大会を続け、次の世代の選手を育て続けました。
復活:RIZINの旗揚げ(2015年〜)
2015年、PRIDEを運営していた榊原信行が中心となり、RIZINが旗揚げされます。同年12月29日・31日にさいたまスーパーアリーナで開かれた旗揚げ大会には、PRIDE時代のスターだったエメリヤーエンコ・ヒョードルや桜庭和志も出場し、フジテレビが地上波で中継しました。大晦日の格闘技中継が帰ってきた瞬間です。
その後のRIZINは、朝倉未来・朝倉海兄弟や、キックボクシングの那須川天心、UFCで王座に挑戦した経験を持つ堀口恭司など、人気選手を次々に生み出しました。SNSやYouTubeで格闘技を知った新しいファンも増え、日本の格闘技人気は再び盛り上がっています。
2026年8月にはABEMAがRIZINの公式メディアパートナーに就任し、9月以降の大会はABEMAでも全試合生中継されています(視聴方法は「日本で格闘技を観るには?配信サービスまとめ」)。
世界への挑戦:UFCとONEで戦う日本人(現在)
いま日本のMMAで大きな流れになっているのが、世界最高峰の団体UFCへの挑戦です。
2022年に始まったアジアの選手向けトーナメント「Road to UFC」では、シーズン1で中村倫也、シーズン2で鶴屋怜が優勝し、UFCとの契約を勝ち取りました。フライ級の平良達郎もUFCで上位を争う存在です。
2024年には、RIZINの元バンタム級王者・朝倉海がUFCに移籍し、同年12月のデビュー戦「UFC 310」でいきなりフライ級王座に挑戦しました。結果は王者アレッシャンドリ・パントージャに2ラウンドで一本負けでしたが、デビュー戦での王座挑戦は極めて異例で、日本中の注目を集めました。
また、アジア最大の団体ONE Championshipでも、青木真也をはじめ多くの日本人選手が戦ってきました。
修斗とパンクラスから始まった日本のMMAは、PRIDEの黄金期、冬の時代を経て、いま再び世界と戦う時代を迎えています。
参考